こんにちは(^ ^)haruです♫
人から好かれていて友達がたくさんいる人って、なんか優れているようにみえますよね。
そんな人の方が、華やかで人生にとっても得をしているようにも見えます。
それで、自分も好かれる人間になろうと努力する方も多いのですが、人から好かれるためにはとても大きなエネルギーが必要になります。
この「好かれたい願望」は時として、自分を破滅させる事もあります。
人間関係の悩みでうつ病を発症したりするのは、こういった願望が原因の可能性が高いのです。
好かれる人の特徴
好かれる人ってどんな人かイメージできるでしょうか?
・空気が読める人
・嘘をつかない人
・相談に乗ってくれる人
・他人の悪口を言わない人
こんなイメージでしょうか?
他にもたくさんあるでしょうが、殆どが対人関係に関わるものだと思います。
単純にコミュニケーション能力が人からの好感に大きく影響しているのです。
特に、相手の嫌がる言動をしない事が絶対条件です。
人に嫌がられる事をしない人は自動的に好かれる人になっていくのです。
好かれる人というのは人から嫌がられる言葉や行動を出来るだけしないように注意して生活しています。
それは、無意識レベルで気を付けている行動なのですが、人と対面した時の視線の動きや姿勢、些細な動作というような認知しづらいレベルの細かい動作にまで注意しているのです。
では、人から嫌がられる言動というのはどうやって判断しているのでしょうか?
Aさんは馴れ馴れしくボディタッチされるのが嫌い
Bさんは「背が高いね」と言われるのが嫌
Cさんはギャンブルをする人を嫌う
というように人によって、感受性は多種多様ですよね。
だからといって、対面する人全員の性格や思考をリサーチして、接し方を調整するなんて事も不可能ですよね。
「〇〇なタイプの人はこんな事を言われるのが嫌だろう。」というような過去の経験から得られた情報を元に、ある程度は予測しています。
しかし、ある程度なので完璧ではありません。
世の中には膨大なタイプ人のがいるので、自分の経験だけで全ての人を判断することはできませんからね。
だから人はもっと単純な判断方法を持っています。
それは「自分がされて嫌な事は、人にしない」という思考です。
無意識にこの思考を元に人と接する時のルールを作っているのです。
例えば
・待ち合わせに遅刻されるのが嫌いな人は、自分は絶対に遅刻しないようにする
・自分が話している時に目を見つめられるのが嫌だという人は、相手が話している時は目を見ないようにする
・「おまえ」と言われるとイラッとなる人は、「おまえ」という言葉を使わないようにします
このように、大抵の人は基本的に自分がされて嫌な事を基準にして人と接しているのです。
人から嫌がられる言動の判断基準は自分自身だという事ですね。
これをふまえると「好かれる人」というのは、このようなルールをたくさん持っている人だという事なのです。
それは言い換えれば、「自分がされて嫌な事がたくさんある人」です。
つまり、根本的に神経質な人が「好かれる人」なのです。
あなたが、良い人だと思っている人は、実は神経質でちょっとめんどくさい人なのかもしれませんね。
精神的な悪影響
人から好かれるためには、相手に嫌がられる言動を無くしていく事が大切ですよね。
でもそれは、神経質な人間になれ!ということです。
あまり神経質な人間になりたくはないですよね。
ストレスの種が増えるだけです。
無理に人から好かれようとして、ストレスを溜め込んでいくなんて本末転倒です。
そもそも、人から好意を持たれるためにする行動は、自分の願望を押し殺して相手に合わせていく行為なのです。
みんなから好かれている人は、自分の願望を押し殺しまくっているということですよね。
そんな我慢は精神衛生上良いはずがありません。
そこまで好かれたい願望が強い人というのは「嫌われる恐怖」に縛られて生きています。
不特定多数の99%から好かれていたとしても、たった1人に嫌われる事に恐怖してしまいます。
更にひどい場合には、自分が嫌ってる人に対してまで好かれようとしてしまうのです。
こうして、人から拒絶されるのが怖いから無理して良い人を演じる事になるのですね。
近年では、昔と比べて多くの人と接する機会が増えているので、このような傾向のある人は精神的ダメージを受けるリスクはとても高くなっています。
特にSNSでは、不特定多数のいろいろな人たちとも意見の交換ができるとても便利な要素がありますよね。
しかし、「いいね」が欲しくて書き込んだ内容に、一件の批判的な意見が返って来るだけで過剰に反応してしまいうつ病を発症してしまうケースも多いのです。
どれほど好感度の良い俳優でも、どれほど人気の高いアイドルでも必ず批判的な人は絶対に存在するのです。
多種多様な人全員に好かれる事は不可能なのですから…。
だから、嫌われる事にいちいち反応するのは、ただの精神力の無駄遣いなのです。
本当に自分の大切な人に対してのみ好かれる努力をすれば良いのです。
植え付けられる強迫観念
嫌われる恐怖は、育ってきた過程の中で植え付けられた感情です。
原因のひとつは、一番身近にいた親から拒絶されていたり、放置されていたりと充分な愛情を受けることができなかったことです。
幼い子供は、親に「注目されたい」「評価されたい」という大きな願望を持っています。
だから、親に喜んでもらえるように行動するのです。親の喜び=自分の願望なのです。
しかし、拒絶や放置により自分の方を向いてくれない親だったらどうでしょうか?
幼い子供にとって親からの拒絶は恐怖です。必死に注目してもらおうと努力するはずです。それでもなかなか注目してもらえることはできません。
そうすれば願望が満たされる事がないまま成長していきますよね。
それを大人になっても引きずってしまう結果、過剰な好かれたい願望となってしまうのです。
もうひとつの原因は、子供の頃から受ける教育です。
日本では大抵、
「友達をたくさん作りましょう」
「みんなと仲良くしなさい」
と教えていきますよね。
それを実行できる子供は周りの大人から褒められ、できない子供は非難されます。
これでは、友達が少ない子供は劣等感を持ってしまう事になります。
だから、必要以上に人から好かれる努力、嫌われない努力をするようになるのです。
日本の教育は基本的に操作しやすい人間性を作り出すためです。
幼稚園で子供たちの仲が悪くてケンカばっかりしていたら、管理する事が困難になりますからね。
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劣等感は精神の無駄遣い。簡単に治せます。
最後に
誰からも好かれる人というのは実際に得することもあるのですが、だからといって無理に好かれようとすると自分に歪みを引き起こします。
そんなリスクをおかしてまで「良い人」になる必要はありません。
そうやってできた人間関係ってホンモノではありませんからね。
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