ASDのボクにとって辛すぎた小学校の謎ルールランキング6☆義務教育の偏ったあたりまえすぎる教育方針

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こんにちは(^^)

ASD歴ベテランのハルっち☆です。

ボクは強めの自閉症スペクトラム(ASD)と診断されています。

ASDタイプは、一般的な「あたりまえ」や「普通」に強いストレスを感じることが多く、実際ボク自身も幼い頃からそれに苦しめられてきたタイプです。

今回は、小学校時代の辛かった謎ルールを紹介していきますが、これは全部定型発達者にはあたりまえすぎて全く理解できない内容かもしれません

でも、そう感じる子供もいると知ることで少しでも教育や子育ての知識になればいいかと思って書きます。

ASDのボクにとって辛すぎた小学校の謎ルールランキング6☆義務教育の偏ったあたりまえすぎる教育方針

6位☆音楽会や運動会

まず第一に、みんなで同じ目標に向かって頑張りましょう的な、あのノリが耐えられない。

ボクには、そういった行事は大人を喜ばせるためのモノだと認識していて、ボクたちは言ってみれば「おもちゃ」です。

楽しいと思えるなら良いですが、ボクみたいに不快感しか持てないような人まで強制するのはヒドくないですか?

運動会で白組が勝ったところで何1つ得るものはないのに、そのために必死になってる大人。ワケが分かりません。

組体操とか騎馬戦みたいな人間と接触することを強制される場面も多く、ASDタイプには辛すぎます。

ASDタイプのボクにとって人に触れるということは、そのへんに落ちている犬のフンを手づかみするくらい勇気がいる行為です。

5位☆あいさつ

ボクは極度の緊張状態になると声が出なくなります。

小学校の低学年の頃は、知らない人が大勢いる学校そのものが緊張の対象でした。だから学校で声を出す事自体が困難な作業です。

そこではじめに強制されるのがあいさつという儀式でした。なんのためにするのか分からない儀式も謎ですが、それをみんな平気でやってるのも謎過ぎます。

地味な割に破壊力抜群(゚д゚)!ASD特性その⑥〜あいさつができない〜

4位☆制服

ボクはASDの特性の1つ感覚過敏が原因で自分の身につけるものによって耐え難い苦痛がありました。

帽子をかぶることと、首が絞まるような学ランタイプの学生服がどうしても受け付けません。当時こんな辛い装備品を身に着けないといけないのは、周りのみんなも我慢して身につけてるんだからという理由をモチベーションに耐えていました。でも今考えると、周りの人たちは何の苦痛もなく装備していたんでしょうね。

3位☆グループや班分け

学校の行事なんかで、好きなコ同士でグループを決めるというような状況がよくありましたが、これもASDのボクには辛さしかありません。

みんなでグループが決まっていく中、社交性ゼロなボクは必ず最後の「残り者」になる。このときに感じていた感情を孤独感や疎外感だと言うのだと思う。

その後どうなるかというと、溢れたボク1人をどこか適当なグループに押し付けてそのグループ分けという儀式が終わるわけですよね。

そのグループは、人数合わせのためにボクという邪魔者を押し付けられたグループです。という事はボク自身も自覚していたので肩身がすごく狭い。

ボクは決められた人間と行動をともにすることを強制される苦痛と、心のなかでは他のグループメンバーに対しての罪悪感ないしかありませんでした。

可能なら一人グループが良い。

 

2位☆みんな友達

「みんな仲良くしましよう」という基本教育がASDのボクには苦痛でしかない。そうしようとしてもその能力がないのですから当然でしょう。

しかもそれを強制しようというのが学校です。

例えば、ボクが休み時間一人で寂しそうにずっと座ってるのを見た勘違い人間が道徳の時間とかで、「仲間はずれにしたらかわいそう」とか「寂しい人も誘って一緒に遊んだほうがいい」とか勝手に議論を始める。

余計なお世話だ。ボクは寂しいなんて1ミリも思ってない。内心は「やめてくれ」

自分たちの価値基準で、勝手にボクを寂しい人間に仕立て上げ、自由を1つずつ奪っていく。おまけに、余計なお世話に対して笑顔で感謝しなければならないホント残酷が過ぎるでしょ。

1位☆宿題

宿題がキライだ!ってのはみんな一緒かもしれません。でもASDのボクにとっては少し違っていました。

正確には、宿題がボクの時間を奪うことがとても耐えられない苦痛でした。

もし仮に、宿題は学校の授業中にするものだったとしたらボクは何も苦痛を感じることはなかったと思います。

どういうことかというと、ASDタイプは時間と空間の認識にシビアです。

学校は勉強する場所であり、登校時から帰宅するまでは自分の自由を拘束される時間であるということはイヤイヤながらも納得していました。

でも帰宅後の自分の家は、間違いなくボクが自由に使える時間と空間です。ただでさえ、生活時間の大半を学校に拘束されているのです。ボクが些細な自由時間を持つことは当然の権利だとは思いませんか?

そんなボクの自由を奪うのが「宿題」なんですよね。ボクの時間を奪わないのであればいくらでも宿題します。でも自由を奪われるのはホントに耐えれない。

これは今も同じで、サービス残業なんて考えられないし、家に仕事を持って帰ることも絶対にしない。

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