発達障害の子供を健常者として育てると‥‥
こんにちは。
40歳を過ぎて、重度の自閉症スペクトラムという発達障害を持っていると診断されたharuです。
ボクは健常者として育てられた発達障害者
「健常者」とか「障害者」という表記に、なんか違和感を感じますが、他に当てはまる言葉も思いつかないので、分かりやすくそう書くことにします。
最近心療内科で診断されたわけなのですが、まず自発的に心療内科に行って見ようと思ったきっかけは、
ボクの子供が自閉症スペクトラム障害(ASD)と診断された事でした。
小学校入学以前にASDのグレーゾーンだと診断されていたことに妻は思い悩んでいました。
それを知らされたボクも、どんな障害なのか気になりネットでASDについてちょっと調べてビックリ(・・;)
ASDって、まさにボク自身の性格を表しているような症状でした。
‥‥そんなこんなで、結果的に40歳を過ぎてから、ボクはASDと診断されるに至ったのですが。
ASDとは、何かの原因やどこかのタイミングで発症するような病気ではなく、持って生まれた先天性の脳機能の性質らしいです。
つまり、ボクは幼い頃から自閉症スペクトラム障害者であり、それを知らない親を含めた周りの大人たちに健常者として育てられたことになります。
その結果がまさに地獄のような日々でした。
一発目の痛恨の一撃は小学1年生の1学期の頃で、小学校の担任の女性教師がヒステリックに怒り狂ってボクを引きずり倒した挙句、クラスの面前で思いっきり殴られた事件です。
教師が生徒に暴力を振るっているのを目撃したのは、後にも先にもボクに向けられたその事件1件のみです。超レアな体験です。
感情に任せて幼い子供に怒りをぶちまけた自制心の無いその教師も最低ですが、今問題とすべきことはそこではなく、ボクがどうやってその教師を怒り狂わさせたのかということ。
ボクは教師の言うとおりに行動していたはずなんです。引っ込み思案で誰かに迷惑をかけることもなく普通に学校生活を送っていたのですが、不思議でしょう。
自分で分析すると原因は、赤の他人の大人を怒り狂わせるほど破壊力のあるASD特性だと思います。
怒りのトリガーとなったのは3つです。
1,ボクは絶対に宿題をしてこない。
2,ボク一人だけ忘れ物が多い。
3,怒られた直後に普通に給食を食べようとしたこと。
大人になった今はこれらが社会的によくないことだと知っています。
ただ当時は、ボクはいたって真面目に言いつけを守っていたつもりでした。
まず一つ、「宿題は必ずしなければならないもの」だと知りませんでした。
だって、それまで「宿題しなさい」と命令されたことはありません。
「みんな宿題をがんばりましょうね~」とかは言っていましたが、この言葉は義務を与えるような言葉ではないですよね。だからボクはやりたくない宿題はしないと決めていました。
忘れ物に関しても同じで、「明日は〇〇を持ってきましょうね~」って言われても、持ってくるのが嫌だったら持ってこなくていいと解釈していました。忘れ物してるなんて自覚はないです。
宿題や忘れ物の件で怒られてたのは、ちょうどみんなが給食を食べ始める時間帯です。
怒られ終わって解放された瞬間にボクが給食を食べる準備を始めたのがカンに触ったらしい。その瞬間に女性教師のヒステリーが爆発しました。
「宿題はしてきなさい」
「明日、必ず〇〇を持ってきてください」
「怒られた直後は、教師に忖度して給食を食べるのは控えてください」
って、最初から正しい文言で教えてくれていればこんな事件に発展しなかったのにね。
ASDのボクの場合は、あたりまえの理解ができないし普通が分からず空気が読めない。
ちなみにボクの行動には全く悪意はないです。
でもこの性質がこんな大事件を引き起こしたのは間違いありません。
この出来事は、ボクにもの凄い強い記憶とショックを与え、それ以降は大人に怒られる恐怖から逃れることに必死でした。
6歳になったばかりの幼い子供が、周りの同級生の行動を観察して、みんなと全く同じ行動をすることに努め、強迫的に自分を抑圧して生きることになりました。
発達障害者と健常者では考え方が全然違うんです。だから行動や想いがすれ違う。同じ社会で生活するにはお互い大きなストレスになることは間違いありません。
でももし、ボクにもその教師にもお互いに発達障害の認識があれば、少しはそんなすれ違いにも歩み寄れたのかもしれないですよね。
発達障害の傾向がある(グレーゾーン)子供は支援学級に入れたほうが良い?
子供の発達障害という事実に直面した場合、親としても気苦労が多くなると思います。
その中でも、一番はじめに大きな選択を迫られる場面は小学校の入学ではないでしょうか?
障害傾向がある我が子を、一般のクラスに入れるか、支援学級に入れるかの選択です。
これから先、
子供を健常者として育てるか?障害者として育てるか?の結構重要な二択。
これに悩む親御さんも多いのではないでしょうか?
実際、ボクの家庭でもそうでした。
親としては、子供にとってどちらが最善な選択なのかと考えるとなかなか答えが出ません。
しかも、発達障害の度合いがグレーゾーンで障害の傾向が有るって超中途半端な診断に困惑します。
もし白に近いグレーなら一般的クラスに入れるほうが良さそうだし、逆に黒に近いグレーなら支援クラスに入れたほうが良さそうとか‥‥。
一般クラスに入れたら周囲について行けなくて辛い想いをするんじゃないか‥‥でも支援クラスに入ると劣等感や疎外感を感じるのではないか‥‥などなど。
障害の度合いがどのくらいグレーなのかの判断も難しいので余計に悩む。
まず、グレーゾーンなんて言う曖昧な表現方法が問題をややこしくさせますよね。
でも今だから言えることですがボクの感覚では、「グレーゾーン」って診断がついた時点で支援クラスに入るべきだと思っています。
親御さんにの感情に配慮した結果「グレーゾーン」と言う言葉を使っているだけ
というのも、ボクの子供はASDグレーゾーンと診断されたのですが、ASDのボクから見ても分かるくらいASD傾向が強くて人とのコミュケーションがうまく取れず、すでに私生活にも問題が出ています。
なのにグレーゾーンという曖昧な表現で伝えられたのには、親に気を遣ってのことだと思っています。
直接的に発達障害だと断言されるとショックを受けたり拒絶されたり、中には怒り出す親もいることが想像できます。
だからオブラートに包んで「グレーゾーン」なのでしょう。
もひとつ言うと、障害傾向のある子どもを一般クラスと支援クラスのどちらに入れたほうが正解なのか結局は結果論でしかわからない。だから支援担当の方たちも、どちらがいいのかを断定してくれることはありません。不正解だったとしても責任はとれないですからね。
つまりグレーゾーンという言葉は、決定責任を親御さんに委ねるための都合のいい言葉。
そこから推察すると、この言葉の裏には、
「あなたのお子様には発達障害気質があり、一般的な生活環境には適応できない可能性があります。支援クラスに入れたほうがいいと思いますが、もし支援クラスに通わせるのならあなた自身で決定してくださいね。」というホンネがあるのではないでしょうか?
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