こんにちは(^^)haruです♪
私たちの社会では、内向的な性格であることにコンプレックスを持っている人は多いですよね。
人生で成功しやすい人、幸福になれる人というのは外向的な思考の持ち主だというイメージを持つ方は多いのです。逆に内向的な人は、社会で損をして、辛い思いをしていると思ってしまうのです。
内向的な人は、
「好きな人に想いを伝えられない」
「グループ内に溶け込むことができない」
「大事な場面で、自分の意見を言えない」
こんなふうに、ネガティブなことばかり思いつきます。
昔は私もそう思っていました。
小学校のクラスの中で、誰とでも陽気に話をしたり、みんなの先頭に立って人を引っ張っていくことかできるような外向的なクラスメイトを見るととても羨ましかったですね。こういった人は大抵クラスの人気者なのですから。
クラスの中で目立たず、気軽に友達を作ることもてきず、人から注目してもらえる機会もほとんどなかった自分と比べると、凄く優れた人間に見えているのです。
もしかすると「 成績か低い」や「運動できない」ことで注目されていたかもしれませんが…(T_T)
そうです。私はものすごく内向的な人間なのです。
このように、私と同じような内向的な性格を持っていることで、辛い思いや劣等感を抱いていた方、もしくは今現在もその感情に苛まれている方も多いのではないでしょうか?
しかし、今の私が言えることは、「内向的な人が劣っていて外向的な人が優れている」とか「社会生活において内向的な人が損をして外向的な人が得をしている」とかいうのは、内向的な人が勝手に思い込んでいるただの幻想です。
昔は、自分の内向的な性格が嫌だったのですが、今現在はと言うと、「むしろ自分は内向的な性格でよかった!」とさえ思えるのです。
つまり、「内向的」というのは弱点でも何でもないということです。
外向的な人が優れているように感じるのは
活発で、明るく誰とでも喋り、たくさん友達と遊んでいるような外向的な人を見ると、とても優れているように錯覚してしまいます。
学校では生徒の成績に、「授業に参加しているかどうか?」という評価は重要なのですが、この評価自体が外向的で躊躇なく発言できるような人がかなり得をする価値観ですよね。
目立たない生徒の努力は人から評価されにくいのです。努力量=評価とはならず、評価は外向的な人が努力せずに攫っていってしまうのです。
大人になってもどこかの会社に就職すれば、コミュニケーション能力の高さがとても重要な要素になってきます。
これも、内向的な人が苦手な能力なのかもしれません。
コミュニケーション能力を必要とするような業務内容じゃなくても、この能力が高い人は何故か周りから「仕事ができる人」と良い評価を得られる可能性が高く、さらにその評価につられてさらにパフォーマンスが高くなる傾向になります。
その延長で、リーダーになれる人材も外向的な人から選ばれやすかなります。
このように、日本社会は子供も大人も関係なく外向的思考の人の得意分野が評価される仕組みに出来上がっているのです。
こうなった理由は、
外向的な人が多数派であること。
周りに干渉して変化させることが得意なのは外向的な人だということ。
だから、外向的な思考の人優位な仕組みが自然に出来上がっていくのです。
内向的な人は、外に向けて干渉しようとはなりにくく、自分の中で処理しようとすることが多いのですから当然の結果なのです。
そして、みんなは無意識的にそれを理解をしているのですね。
「外向的な人が評価されて得をする社会だ!」ということを。
そんな社会で生きていくために、大人は子供に外向的な教育をしていきます。
「たくさん友達を作りましょう」
「部屋にこもって、本ばっかり読んでいてはダメ」
「外に出て友達と遊びなさい」
「恥ずかしがって、会話できないのはダメ」
子供の将来を想ってこのような言葉をかける大人はとても多いのです。
このような言葉で、外向的な人が優れているという価値観が生まれてくるのです。
そうやって内向的な人は、知らず知らずのうちに劣等感を刷り込まれていき、外向的に振る舞えない自分自身を「恥ずかしい」と思うようになってしまいます。
内向的な人=ネガティブというイメージがあるかもしれませんが実はそうではなく、現在の社会の中でネガティブなイメージを植え付けられているだけなのです。
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内向的でもポジティブな人
外向的な思考優位な現代社会では、ほとんどの内向的な思考の人が自分自身に劣等感や羞恥心を抱いています。
しかし、中には内向的な人なのに劣等感や羞恥心を持っていない人もいるのです。
そんな人なら、一般的な内向的思考の人が持つ悩みや生き辛さとは全くの無縁です。自分が内向的であることに何の不満もありませんし、外向的な人を羨ましいと思うことさえありません。
内向的だから「損をしている」なんてウソなんですよね。
同じ内向的なのに、なぜこんな違いがあるのかというと、育った環境が違うのです。
このような人は子供の頃、親や周りの大人たちが内向的思考に否定的な感覚を持っていないような環境だったのです。
だからさっきの話のような、外向的な思考優位な教育を受けずに育った可能性が高いのです。
友達が多いことや外向的な行動を過剰に評価せずに、一人で寡黙に遊ぶことや部屋に閉じこもって趣味に没頭することを承認されながら育ってきたからこそ、不必要な劣等感や羞恥心を感じることはないのです。
それらの負の感情は、自分自身を余計にネガティブな思考に傾けます。
外向的な人に対して劣等感や羞恥心を持たない人は、内向型特有の生き辛さを感じることは無くポジティブな思考で生きています。
こういったことから単純に、「内向的」と「幸福感」とは全く関係ないということがわかるはずです。
内向的と外向的はただの個性
さっきも言いましたが、内向的な人と外向的な人は、どちらかが「優れている」とか 「劣っている」ということはありません。
外向型の人が得意とする分野もありますが、内向型の人にも外向型の人が真似できないような利点があるのです。
ただの個性なのです。
「うどん」が好きか?「そば」が好きか?というぐらいの違いだと思っておきましょう。
1つ問題があるとすれば、自分の内向性に対して劣等感や羞恥心を持ってしまっていることです。
このネガティブな感情を持っていることこそが自分を辛くする。
そんな感情を捨ててしまえば、自分の内向性は弱点じゃなく「武器」にできるようになります。
内向的な性格を受け入れましょう。
外向型に憧れて、無理に外向的な人間になろうとすると余計に悩みを大きくすることになるのですから。
例えるなら、「そば」にアレルギーがあって食べることができない人が、「そば好き」になろうとするのは自殺行為でしょう。
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