こんにちは(^o^)
最近、自分のASD特性について過集中状態のハルっちです☆
誰にも言えない!ASDのボクが結婚式を開催することができなかった本当の理由
ボクは自閉症スペクトラム(ASD)という発達障害者です。ほんの少し前までは全然自覚なかったんですけどね(^.^;
発達障害が発覚してからというもの、アタマの中では今までの人生の出来事にたいしてASD障害との関連付けするという作業が起こっています。
そうしていくうちに、良くも悪くもボクのASD特性が原因で発生した出来事がたくさん思い出されます。
今回は、その中でも定型発達者には理解できない変なボクの思考についてのお話です。
ボクがどうしても結婚式を開催することができなかった驚きの理由
「知っている」と「できる」は別ものです。
ボクは結婚すると決まったとき、お互いの両親からも結婚式をすること勧めらたし、妻も結婚式をしたいと思っていたようです。
でもボク1人だけ全然乗り気じゃない。
そんなボクをみて、妻は結婚式するかどうかの選択権をボクに委ねてくれたので、お言葉に甘えて非開催をしました。
ボクにとって結婚式(結婚披露宴)とは、
・大変な時間とお金、労力が必要な割に得られるものがほとんど何もない言ってみれば限りなくコストパフォーマンスが0に近い物
・なぜか祝福される側が主催する謎の儀式
・無駄に堅苦しくて人がたくさん集まる場所
と思っていて、これも結婚式を開催したくない理由です。とは言ってもこれらはただの個人的な価値観なのでASDの障害とは関係ないと思います。
ただこの辺の価値観は相手に合わせることもできるので決定的な原因ではありません。
それで本題の、ASDのボクがどうしても結婚式できなかった理由とは、
「ボクはウソがつけない」です。
「はぁ?何いってんの?」って思いますよね(^.^;その気持ちはよく分かります。
なので解説しますね(゚∀゚)
ボクの知っている結婚式のイメージの中に、
アルバイトの外国人のおじさんが神父のコスプレをして登場し、
「病メル時モ、健ヤカナル時モ、〜略〜
共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
とかって宣誓を強要される場面があります。
この時、
「はい。誓います。」と穏やかに答えるのが正解のリアクションですよね。それは知ってます。
でもボクは、正解のリアクションをとることが絶対にできません。
しかし仮に、
「共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを頑張りますか?」
に対しての返答なら「はい。頑張ります。」と正しいリアクションができます。
どういうことかというと、ボクにとって「誓う」とは一生曲げてはいけない重大な約束のような認識です。
それを踏まえて、
夫婦として一生の間添い遂げる事を約束させられるわけなのですが、10年先や50年先のことなんてボクには分かりません。
もしかしたら途中でキライになって離婚したいと思うかもしれないし、他に好きな人ができるかもしれないし、第三者からの圧力で結婚を継続できなくなる可能性だってあります。誰だってそうなはずです。
つまり、この結婚式の宣言というのは、不透明で未確定な事を断言させられる場面ということです。
いやぁ(-.-;)わかってますよ〜。
そういう場面では、適当に「誓います」とか言っておけばすべて丸く収まるのは…。
職場でもよくいますよね。できないのに「できる」と断言して人を困らせるヤツ。そういった適当なでまかせやウソをつくことがボクには絶対にできません。
もし誓ってしまったら最後、結婚という契約が「呪縛」に変化してしまいます。そうなればボクはなりふり構わず強迫的に誓いを実行しようとしてしまいます。
もしかしたら、結婚生活で身も心もボロボロになってどれだけ辛くても逃げることができなくなったり、その苦痛から逃れながら契約を実行するために自分でシを選ぶかもしれない。
ボクにとって言葉はそのくらい重要な意味と役割を持っているんですよね。
仕事や私生活にも多大な影響
ボクは、自分の発達障害が発覚するまでは、ボクのそういった言葉に対する特殊な感性はノーマルだと思っていました。だって言葉の意味を忠実に理解して使っているボクの方が絶対に正しいよねって思ってましたから(゚∀゚)。
それによって、いろいろと問題が起こっていたなぁ〜と今頃になって自覚できます。
ボクは、妻に「愛している」と伝えたことはありません。だってその言葉の意味が不明瞭でボクが愛しているのかわからないから。
逆に「一番大事に思っている」とは伝えたことがあります。それはその時、現在進行系で間違いなく何よりも大事に思っていたから。なんの躊躇もない本心の言葉だったからです。
それはそれはこの手のすれ違いでのケンカは山ほどありましたね。
「ウソを付くことができないボク」と「ウソでも良いから安心できる言葉をかけてほしい妻」
相性は最悪ですよね。
「あなたが居なくなったら私は生きていくことができない」とかって平気で言っている妻を見て、ボクはマジでヤベーなって思ってたくらいでしたから。
この他にも、仕事でも凄くつらい場面は多々ありました。
例えばミーティングなんかで、
「今月の売上目標は〇〇だ!みんな必ず達成させるように!」
「haruさん、絶対に達成できるよねっ?」
と言うような上司の発言に対してボクは、
「たぶん達成できると思います。」とか「達成できるように努力します。」と答えます。
体育会系な「必ず達成します!」という返答が正解だと知っていても、そんなウソはボクの口から発っすることができません。
文字通り的確なボクの返答は、上司の意に添えずグダグダと説教されることになります。
他にも、営業先でお客さんに対して言うお世辞や社交辞令、褒め言葉など心に思ってもないセリフを言葉に出すだけで、なぜか涙が出てきます。
ボクの中の何かが、ウソをつくことに拒絶反応を起こしているような感じ。比喩表現ではなくてホントに涙が出てくるんです。
ASDタイプの人は、言葉に対して誠実だと言われています。
言葉の意味を文字通りに解釈してしまうため比喩表現が理解しづらかったり、状況や文法的に正しい言葉の選択をしようとするあまり想いを伝えることが困難だったりします。
たぶんASD特性のある人は全員思い当たる節があるのではないでしょうか?
逆に、ASD特性の人が自分の意志を断言するような言葉遣いをしたとしたら、それは相当な覚悟と意思を持った決意だと理解してあげてくださいね\(^o^)/
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