こんにちは(^^)haruです。
近年のスマホゲームの普及は凄まじい。
それと同時にスマホゲーム依存が危険な現代病となりつつあるようですね。
ゲームをすること自体が悪いわけではありません。
人はゲームをすることで、思考力や空間認識能力が養われることもありますし、高齢者の認知症予防にも効果があるという報告もあるので、ゲームをすることのメリットもあるのです。
ただし、ゲームをするのならスマホゲームはオススメできません。
暇つぶしで始めたゲームでも、気づいた頃にはプレイヤーを依存状態にさせてしまうような魔力があります。
依存度が異常に高いスマホゲーム
依存症は、何かに依存していることで普通の日常生活を送ることができなくなる原因となります。
アルコール依存症なら健康を失うし、ギャンブル依存症ならお金を失う。それを発端に、人間関係も失い信用も失い最終的には生活が破綻するかも知れません。
何かに依存しすぎることはとても危険なことなのです。
それはスマホゲーム依存も同じなのですが、スマホゲーム依存に関しては危険意識を持たない人が多い。
スマホゲームを長時間プレイし続けても、ギャンブルのようにお金がなくなっていくわけでもないし、薬物依存のように健康を害するわけではないからでしょう。
だからパチンコに行くのには心理的に抵抗感があっても、スマホでゲームをするのには何の抵抗も感じないのです。大人がスマホでゲームに熱中しているのを見て育った子供も当然スマホでゲームをすることに抵抗感はありません。
しかし、現実的にはスマホゲーム依存はギャンブル依存よりもタチが悪い。
スマホゲームは、スマホを持っていて電波が届くところであればどこでもゲームができます。
パチンコのようにお店に行かなからばならないこともないし年齢制限もありません。営業時間外でお店が閉まることもありません。
24時間いつでもどこでもプレイできる。
だから止めるタイミングが分からないのです。
どれだけパチンコに依存している人でも、お店が閉店すれば止めれるし、お店に入店できなければパチンコをすることはできません。更に言えば、お金が無ければパチンコはできません。
パチンコを含めたギャンブルは、どれだけ依存していたとしても物理的なストッパーが存在するのです。
ところがスマホゲームなら、その気になれば一日中プレイできてしまいます。しかも無料で。
物理的にスマホゲームができなくなる状況といえば、電波の届かない場所やスマホの充電ができない状態くらいです。そんな状況は今の便利な日本に住んでいればほぼ避けれます。
だから、寝る時間を忘れてゲームに没頭していまう人も多い。
今の社会が依存者を生み出していると言ってもいいくらいです。
無課金者ほど陥りやすいワナ
スマホゲーム依存の危険の1つは、ゲーム内課金による経済的損失です。課金を自制できずに自分の支払い能力以上にお金をつぎ込んでしまうのは大問題です。
だからといって、無課金プレイヤーが大丈夫だと思うのは認識違いです。
実は、無課金プレイヤーこそスマホゲーム依存に陥りやすい。
人は、何かをつぎ込めばつぎ込むほど手放すことが困難になります。
例えば、何年間も苦労して勝ち取った就職先がブラック企業だったとしても、辞めることができなくなる心理と同じです。その会社を辞めることは、今までの苦労を全て無駄にするという認識になり、そのままズルズルと負債を抱えながらブラック会社にしがみつくことを選んでしまうのです。
スマホゲームに関して言えば、無課金プレイヤーがつぎ込んでいる物といえば、時間と労力です。
スマホゲームの多くは、無課金でも課金プレイヤーと同じ土俵でそこそこやっていけるようにゲームレベルを調整しているのですが、そのためには課金プレイヤー以上に時間と労力を大量に費やすこととなります。
スマホゲームにおける課金は、ある意味「時間と労力のショートカット」なのです。
課金プレイヤーよりも苦労している分、そのゲームを辞めることが困難になっていく。
ゲームを辞めてしまったら、今までに費やしてきた何十時間何百時間を全て無駄にしてしまう。そんな考えに囚われて、結局その後にも時間や労力という負債を抱え続けることになるのです。
何万円もゲームに課金する人以上に、無課金プレイヤーも依存のリスクは大きいということです。
無課金プレイヤーの存在意義
配信無料のゲームの製作者は、そのゲーム内でプレイヤーに課金してもらうことで収益を得ることができます。
課金プレイヤーというのはゲーム製作者にとっては優良なお客様です。価値を与える人とその価値にお金を払う人という関係です。ゲーム製作者はお金を払ってくれるお客様が楽しめるようにゲームを作っています。
では、お金を払わない無課金プレイヤーはどういった位置付けなのでしょう?
間違いなく「お客様」ではありません。
無課金プレイヤーがどれだけそのゲームに時間を費やして努力してレベルを上げても、製作者の収益には繋がらない。
普通に考えると、お金にならない無課金プレイヤーなんて必要ないと思えるのですが、なぜか無課金プレイヤーに優位なゲームシステムを作っていたりするのです。そのシステムを使って無課金のスマホゲーム依存者を量産しているのです。
不思議ですね。
実は、無課金プレイヤーの存在はスマホゲームの製作においての重要なファクターの1つなのです。
お客様(課金プレイヤー)を楽しませるために絶対に必要なのは、他者との対戦や競争です。他のプレイヤーと戦って勝利することや、プレイヤーランキングでトップ10に入ること、みんなが羨ましいと思うような超レアなカードを持っていることの優越感。これがなければ楽しくありません。
コンピュータ相手の戦いでは、この優越感を得ることはできません。単調で無感情のスライムを何匹倒しても面白くない。ネット上の向こうの生身の人間を相手に戦うから面白いのです。
つまり、無課金プレイヤーとは、課金プレイヤーが楽しむために用意された、「引き立て役」「狩られ役」「雑魚キャラ」と言ったところです。
よく考えてください。
無課金プレイヤーは、知らないうちにゲーム製作の手伝いをしているのです。しかも無償で。
毎日何時間も無償で他人のために働いているかと思うとゾッとしますよね。
ターゲットは低所得者
お金持ちの人はスマホでゲームをしません。当然スマホゲームに依存することもありません。
生産活動や自己投資に時間をかけて過ごしているため、非生産的なゲームに時間を費やすことが無駄に感じるということもあるかもしれませんが、もっと本質的な理由があります。
スマホゲームが「面白くない」からです。
仮に、あなたの年収が急に1億円に増えたとしたら、今まで熱中していたスマホゲームが急に面白くなくなります。
年収が300万円の人には面白いゲームでも、年収1億円の人には面白いと感じられない。
不思議ですね。
スマホゲームの面白さは、お金を元手にしてお金を手に入れるギャンブルと同じです。
スマホゲームで、時間やお金を使って、超レアなキャラクターを手に入れる喜びがギャンブルと同じなのです。
もしスマホゲームでそのギャンブル性が無くなれば、酷くつまらないものに成り下がるでしょう。
収入が低い人にとってのギャンブルの賭け金1万円の価値はとても大きい。月収20万円の人には、その1万円があるか無いかで生活の豊かさの違いを感じるくらい大きな価値です。
だから、パチンコで「1万円勝った!」「1万円負けた!」ということに一喜一憂できるわけです。
しかし、年収が1億円もある人にとっての1万円の価値は、一般人の100円や10円ぐらいの価値しかありません。
幼い子供ならわかりますが、大の大人が「100円勝った負けた」で心が大きく動くはずかありませんよね。
ゲーム内の超レアなキャラクターの価値感も収入の大きさによって全然違うということです。
金銭的価値として判断するとしたら、一般人にとっては1万円の価値があるキャラクターでも、収入の高い人にとっての価値は0円に近いのです。
当然、お金持ちの人は価値が無いものを手に入れるために貴重な時間やお金を費やすことはありません。
ネバーエンディングストーリー
無料で配信されているスマホゲームが収益を上げるためには、そのゲームをプレイし続けてもらう必要があります。昔のゲームのようにゲームをクリアしてエンディングを迎えてしまうと収益もそこでストップしてしまいます。
だからスマホゲームは辞められないようにすることを目的に作られています。言い換えれば、一般プレイヤーが依存するように仕組まれているのです。
一旦スマホゲームを始めれば、半永久的にそのゲームを継続してプレイさせられるリスクが発生します。
そこで失う時間や労力は無駄な浪費です。
その時間や労力を自己投資や家族や友人との交流に使った方が絶対に豊かになれるはずです。
現代社会が生きにくいと思っていたり、将来に不安を感じているのなら、まずはスマホゲームを辞めることが解決の第一歩なのです。
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